眼高手低逓伝広報局

元浪人生の小言大展覧会

一浪目を振り返って

私は全落ちして浪人した。恥ずかしくて学校に行けなかった。それが平成29年の三月下旬だった。
浪人を確信した2月25日、私は浪人用垢を設立した。目指すは京都大学…最低でも旧帝大のはずだった。

その頃、アニメ「けものふれんず」が人気だった。アイコンにもそれが多かった。ハシビロコウアイコンの人のことを私はよく覚えている。
ポプテピピックもよくある類のアイコンだった。勿論当時は漫画版のものである。こういう流行り物をアイコンにしている人は志望校に落ちるイメージが私にはある。実際私が観測していた人は軒並み落ちていた。

私は実家でゆっくりしながらTwitterに勤しんでいた。ポップコーンなる集団通話に誘われたのは三月上旬だったように思う。今はすっかり大物となったろくしょー、かなり炎上したあくしず、線香花火のように界隈を荒らしたあんず、よく叩かれていたげにあなどもここにいた。思えばよくもまあ一緒にいたなと思う。新宿エンカプリ騒動があったが、あれはこのポプコンメンバーの関東組の仕業であった。

四月、ドカタマグラなどの巨星が登場しながら確実に浪人界隈にのめり込んでいった。自分はまだ志望校に行ける気がしていた。

五月…いや、もうやめよう。Twitterの話しか書けない。そうだ、私はこの一年間Twitterぐらいしかしていない。勉強は100時間もしていないのではないだろうか。当然志望校に受かるはずもなかった。

一浪してまた、私は志望校に落ちたのである。惜しさも何も無い。最低点から大幅に下の点数だろう。なんて情けないんだろう。「大逆転!」などと息巻いていたのに。結局は家で寝転んでTwitterをするばかりだった。


そして愚かにも、私は二浪を考えている。

「来年度こそ真剣にやれば受かる」

という魂胆だ。しかも親との約束で私は進学しなければならない。仮面浪人ということになる。一浪目に勉強をほとんどしていないし、なんなら現役時もあまり勉強をしていない私が、仮面をして志望校に受かる確率は…。お察しである。
常識的に考えれば辞めておくべきである。
ほぼ勉強していない今年すら辛かったのだ。仮面した挙句にちゃんと勉強など、私に出来るはずがない。


しかし、しかしながら、

「いい大学に行きたい。」

という欲望が強い。仮面先で満足できるかは不明である。板挟みだ。



「浪人は嫌だが、浪人したい!」
という言葉の通りである。